アリゴテの個性と魅力を世界に知らしめた造り手
高名な醸造家オベール・ド・ヴィレーヌ氏はDRCの経営を継ぐ前に父親から「自分のドメーヌを持ち、ドメーヌのワイン作り、ドメーヌ経営を学ぶように」という指示を受けており、フランスに戻って1971年に始めたのが「ドメーヌ・ド・ヴィレーヌ」。
現在ドメーヌではオベール・ド・ヴィレーヌ氏の甥(サンセールのドメーヌ・デュ・ノゼに嫁いだマリー・エレーヌ夫人の息子)にあたるピエール・ド・ブノワ氏が運営の主体を担っている。所有畑は白14.7ha (うちアリゴテ78%、シャルドネ22%)、赤6.1ha (ピノ・ノワール100%)
2005年ヴィンテージよりドメーヌ名が、ドメーヌ・アー・エー・ペー・ド・ヴィレーヌ(Domaine A.etP.de Villaine)から、ドメーヌ・ド・ヴィレーヌ(Domaine de Villaine)に変更されました。
ドメーヌのポリシーは「全ては葡萄とテロワールの個性をあるがままに表現するために」
有機農法によるぶどう栽培健全で高品質なぶどうを得るために、早くから農薬・除草剤・化学肥料を一切使用しないビオロジックによる栽培に取り組む。1986年にQualite-France の認証を受ける。また選定を厳しく行い、芽かきやグリーンハーヴェストを行うことなどによって、収穫量はAOCの規定よりも20%も低く抑えている。収穫は全て手摘みし、厳しい選果を行う。テロワールとぶどうの微妙なニュアンスを表現するため、自然酵母で発酵。熟成はワインによって大樽、オーク樽、ステンレスタンクを使い分けるが、ワインの自然な姿を邪魔しないよう、オーク樽は最小限にとどめている。瓶詰め時のSO2は最小限に使用し、赤ワインはノンフィルター。
「自分の力でドメーヌを興してみなさい」。DRCの共同経営者のひとり、オベール・ド・ヴィレーヌ氏は若かりし頃、父にこう言われたという。名声をほしいままにする名家に生まれた氏が選んだのは、名声に最も縁遠いとさえいえるブーズロン村だった。居を構えた当時は村の名をAOCに冠することさえ許されていなかったという貧しい村。ドヴィレーヌ氏は「酸っぱくて青臭い」とみなされていたアリゴテ種がこの地ではよく熟し、そのテロワールを見事に表現することを見出した。その後氏の努力により、「ブーズロンAC」 はアリゴテ種唯一の村名ACとして認められるに至った。
現在は甥のピエール・ド・ブノワに全権が委譲され、「この家系ならではの」厳格さをもって、テロワールやワインと向き合っている。普通食事をしたりすると世間話に花が咲くものだが、彼はほとんどワインの話ばかり。アリゴテはその昔コート・ドールの丘を支配していたが、シャルドネにその座を奪われ、理想の地であるブーズロンにたどり着いた。「格下」とみなされるコート・シャロネーズという産地やアリゴテ種が立派な「テロワールのワイン」となりうることを証明するためにまさに全身全霊を傾けているのだ。事実、彼が試飲させてくれるブーズロンのオールドヴィンテージ(!)は、下手なピュリニー・モンラッシェよりきちんと熟成し、気品を備えている。
周囲は「ロマネ・コンティの家系だから」とすべてを色眼鏡越しに見る。移り住んだ頃は嫌がらせをされたことも多かったらしい。しかし彼には名家の奢りは一糸もない。ヴォーヌ・ロマネの偉大さを知るが故の謙虚さ。きっとこの瞬間もシャロネーズのことで頭がいっぱいなことだろう。