Chateau Calon-Segur
シャトー・カロン・セギュール
かつてセギュール侯爵がラフィット、ラトゥールを所有し、彼が最も愛したシャトー
「われ、ラフィットを造りしが、わが心、カロンにあり」と言ったと伝えられ、そのためエチケットにハートが描かれています。
かつてセギュール侯爵がラフィット、ラトゥールとともに所有しており、中でも彼が最も愛したシャトーとして著名。ラベルのハートはその象徴です。人気に奢ることなく常に上の品質を目指して改革を行い続けるシャトーで、優しいが、芯がしっかりしているハートのように繊細さと力強さを兼ね備えた香り高いワインです。
ロバート・パーカーJr.ボルドー第4版より
底土は砂礫と鉄分の多い石灰岩という、サンテステフのコミューンの最北区域にあるカロン・セギュールは、格付けシャトーとしては最北端である。カルベン・ガスクトン夫人が所有者で、シャトー在住である点は近隣のモンローズと同様である。珍しい丸屋根と2つの塔のあるカロン・セギュールの白いシャトーは、あたりの風景を圧する趣だ。シャトーの周囲には石壁というか、囲いがめぐらされている。これはブルゴーニュではよく見かけるがボルドーでは珍しい。
カロン・セギュールの歴史はローマ時代にさかのぼる。この頃、サンテステフのコミューンは、「デ・カロネス」として知られていた。ワインを生産するシャトーとしての名声は、18世紀、セギュール侯爵のものとされている有名な言葉によっていよいよ増したことは間違いない。彼は、「われラフィットやラトゥールをつくりしが、わが心カロンにあり」と言って友人を驚かせたのである。カロンに対する彼の思い入れは、カロンのラベルにあるハートの中に今も生き続けている
20世紀の大半、やるべきことはすべてやってきたおかげで、カロン・セギュールはしばしば一級シャトーに匹敵するほどのワインを生産するまでになった。~中略~1940年代後半から1950年代にかけてのボルドーで、これに匹敵する成果をあげたシャトーはないに等しい。
1953年の後は、1982年まで、本当に深みのあるワインが造られたことはなかった。その間も悪くはなかったのだが、1960年代、1970年代は最高の年のものでさえ、かすかに酸化しており、果実味がくたびれていた。時には、カビ臭さがあったり古い木の味わいが強すぎたり、収斂味の強いタンニンが多すぎたりするものもあった。ボルドーの内情に精通した者の間では、セラー内でのワインの育て方、いわゆる(エルバージュ)が原因ではないかと考えられていた。また、瓶詰めが遅すぎたとか、澱引きや古い樽の清掃が、投げやりとは言わないまでも、丁寧でなかったことが多かったのだろうとの考えられていた。
1982年以降、カロン・セギュールは自分のスタイルを取り戻し、1988年、1989年、1990年、1995年、1996年には上質のワインを造り出した。この歴史ある偉大なシャトーは1970年代にその方向性を見失ったかに見えたが、今では力強く立ち直り、そのワインは、スタイルこそ大きく異なるが、コス・デストゥルネルやモンローズに迫るほどのものになっている。ガクストン夫人なら(亡命中であれば、彼女の夫君も)こう言うだろう。サンテステフのすべてのシャトーのうち、カロン・セギュールが最も忠実に、伝統的なスタイルの、成長し花開くまでの時間のかかる、長命なワインをつくり続けていると。この点では異論はない。伝統を重んじる人々には、この美しい、歴史的に重要な、有名な1855年の格付けでは(地理的な意味合いで)最後に名のあがる格付けシャトーの近年の労作を、検討してみるようおすすめする。
平均年間生産量:28万本
畑 面積:55ha、平均樹齢:35年、平均産出量(過去5年間):40hl/ha
育て方:ブドウは手摘み。発酵はかなり長く(3週間)、温度調節された発酵槽を使用。生産量の20%については新品の大樽でマロラクティック発酵。残りについては、18~20ヵ月くらいかけて発酵槽でマロラクティック発酵させ、完了後、オーク樽に移される。うち新樽は30%。清澄処理はされるが、濾過処理はされない。
ブレンド比率:カベルネ・ソーヴィニョン45%、メルロー40%、カベルネ・フラン15%